北村耕治の雑記

改札できみは

ふふふと笑って、やがて上り電車がやってくるであろうホームへ続く階段へと消えて行きました。
私は世の中の終電を憎みました。

今年に入ってから田辺聖子と谷川俊太郎に夢中。

田辺さんの本はブックオフに売っている。
いくらでも売っている。
だから私は彼の地へ通ってしまう。
物書きの風上にも置けないことかもしれない。
田辺文学は極上で。
こんなにも層が厚く、多岐に渡る市井の女性像を短編をもって提供し続けた女流作家は他にいないんじゃないか。
知らないけど。
それがいつだって100円、ともすればそれよりも安く手に出来てしまうブックオフの魅力には抗えない。
物書きでありながら一冊の本も出していない私には、
腹を痛めて生みだした子供が古本屋で投げ売りされることの悲しみ、あるいは罪悪が腹落ちしていない。

一方、谷川さんはジュンク堂で買う。
ブックオフにももちろんあるだろうけど、なぜか新品を手にしたくなる。
いえ、ここで田辺より谷川が上と言っているわけではありません。
あくまで、何か、気分の問題。私には等価。

二十億光年の孤独が10代の頃に書かれた詩だなんて、腰が砕ける。
ばかじゃねえのって思う。
底の知れない円みと深みを湛えた近年は言うに及ばず、
きっと今の自分とそう変わらない年頃に書かれたであろう中期の詩作に心ひかれる。
色気と寂寥に満ち溢れてる。
一冊手に取ると、何べんも、本当に何べんでも読み返してしまう。
彼が、彼の孤独に向き合って暮らしてきた軌跡に打たれる。

本があればもういいかって思うことがある。
面白い、本当に面白い本を読んでいるとそう思ってしまうことがある。

だけどきっとそれは慰めでしかないのだろう。
逃避だろう。
やっぱり私は書くべきだろう。
いかに拙くとも。
独りよがりとしても。